「カブトムシに打ち倒されるな(7章、文庫版p92-)」
何で唐突にカブトムシ?と思うが、これはコロラド州にあった大木が落雷に見舞われてもびくともしなかったにも関わらず、カブトムシの大群が押し寄せた結果倒れてしまったというエピソードから。
この章で言いたいのは「気にする必要もないような小事に囚われず、やるべきことをやろう」という事で、これと言って書く事もないので省略。もっとも書いてあること自体はその通りで、些細な事に気を取られるのは時間の無駄なので早いうちに切り替える事は細かいようで大事な事ではある。
「多くの悩みを閉め出すには(8章、文庫版p103-)」
この章も短いため書くことがあまり無いが、要約すると「不安の大半は起きない、取り越し苦労はやめよう」になる。
ネットをしていると大袈裟なエピソードばかり出てくるが、ああいう類の話はイレギュラーで基本起きないか、話を盛っているのだろう。どちらかと言うと不安を紙に書くとか、実際に調べてみて(ネガティヴで扇動的な情報には注意)解決策を探るとかやるのが遠いようで近道なんだろうと思う。
「避けられない運命には調子を合わせる(9章、文庫版p113-)」
「物事をあるがままの姿で受け入れよ。起こった事を受け入れる事が不幸な結果を克服する第一歩である(p114)」
行く手を遮る不幸に尽く頭を下げろと言っているわけではない。事態を好転できるチャンスがあるなら動くべき。しかし、常識で判断してもはや万事休すとなれば「悪あがきや逆転は望まない」のが正気である(p120の内容を参考に要約)
この章では人生の状況、起きた出来事を受け入れよう・順応しようという点を強調している。ただ諦めて自堕落になれという意味ではなく、好転させられるならその術を実施するのは大事だと書いてあるが、まずいったん状況を受け入れないと必要以上にエネルギーを使う羽目になるという事なのだろう。
p124には「柳のように曲がれ、樫のように抵抗するな」という柔術の格言が紹介されている。これもただ無抵抗に頭を下げまくれと言う意味ではなく、まず起きてしまった事は否定したり反抗したりせず受け入れ、その上でどう対応するのか考え実行しようという意味だろうと思う。
他の自己啓発・スピリチュアル系の本でも「お手上げする」など似た事が書いてあるが、要は起きた事(特に不幸や理不尽な経験)に反抗し続けていても疲れてくたくたになるだけなので、起きた事は起きた事として受け入れよう(勿論「悲しい、つらい」という感情まで否定しなくていい)という事ではないかと思う。
「我々が不可抗力に逆らうのをやめると、ある種のエネルギーが放出され、そのおかげでもっと豊かな人生を創造できる(p123)」ともあり、ちょっとスピリチュアル味が強いが起きた現実と和解するのは実際疲れなくて済むのでやってみる価値はあると思う。